鉄道模型の多様性……難しいのでは??
今回は明るい話題ではないし、極めて個人的な意見ですので、苦手な方はスルーして下さい。 よろしくお願いします。 このところ急激に気温が上昇し、毎日とてつもなく暑いですよね。 私はもともと暑さには非常に弱いし、このところずっと体調が思わしくないので、ほんとこたえます。 更には近年、力を入れているBemoですが、相変わらず中古市場ではとても強く、引き続き某オクでは一度も勝てない状況が継続中です。 また時間が出来たことから、今まで手を付けることが出来なかった手持ちを処分していますが、Bemoとは全く異なり、こちらは全然売れません。 あまりの落差に、労力を鑑みると無駄の極致にも思えてしまいます。 そんなこんなで決して楽しからざるセカンドライフを送っていますが、そんな中、あるところで、鉄道模型の多様性についての記事を見ました。 少々、古い記事のようでしたが、思うところがあるので、本件について記してみたいと思います。 ところで私は、昨今よく使われる多様性という言葉が好きではありません。 というのも、何かご都合主義で使われているように思えるからです。 つまり声高に多様性を叫ぶ人の多様性は重視するが、真の多様性はとことん阻害すると言うか、排除するといった極めて恣意的な行為が好きではありませんので。 それで件の鉄道模型ですが、これはまさしく多様性そのもの。 で、正直な話、交わるものではないですね。 実際、規格が異なるともう話が合わないです。 更にはその同一規格内でも、趣向が違いすぎて。 例えば私はドイツ型HOが主力ですが、こんな狭い分野ですら、好みはばらばらです。 そしてあらゆる趣味の共通項として、自分の趣向が一番なんです。 だから個人の好き嫌い、価値観に過ぎないエビデンスの薄弱な根拠をもって他人を見下す人が実に多いです。 JRと私鉄、特定私鉄間、NとJ、外国型と日本型、2線と3線、アナログとデジタル、HOJとJ……、もう枚挙に暇はありません。 そのくせエビデンスが明らかな定量的比較結果や、明らかな経験的事実は軽視します。 何とも不思議な世界に感じます。 あくまで私の経験ですが、決して全てではありませんが、他人を認...