ドイツ国鉄 DRG 旅客用テンダ式蒸気機関車 BR 13.10-12 1189号機 (Fleischmann 4113)

 今回はドイツ国鉄 DRG の旅客用テンダ式蒸気機関車 BR 13.10-12 を紹介します。 

 DRG BR 13.10-12は、プロイセン王国邦有鉄道が開発したS 6形蒸気機関車です。 

<DRG BR 13.10-12 主要諸元>

 型式:2'B h2、バッファ間距離:18.35m、運転重量:60.6t、軸重:17.6t、過熱式2気筒、ボイラー圧力:12bar、動輪径:2,100mm、出力:679kW、最高速度:110km/h、

 1906年から1913年までの間、584両が製造されました。

 プロイセン王国邦有鉄道の急行旅客用蒸気機関車の開発は、1890年に製作されたS 2形から始まります。

 この軸配置2' Bを持つ形式は、飽和式のS 2、S 3、S 5、S 5.2が1,000両以上、そして過熱式のS 4が104両製造されています。

 しかし、これらは満足の行くものではなく、より高速で、強力な機関車が求められていました。

 これに対する一つの回答は、軸配置2' B1' の飽和式四気筒機 S 7でした。

 一方、プロイセン王国邦有鉄道の機関車の設計および調達部門の責任者であるロベルト・ガルベがブレスラウのリンケ・ホフマン社が製作した 2'B h2 急行列車機関車の設計を機関車委員会に提出しました。

 これが、S 4のさらなる発展型であるS 6となります。

 S 6は、1906年から1913年の間、リンケ・ホフマン、ヘンシェル、フンボルトによって584台が製造されました。

 これはドイツで製造された最後のB軸急行列車用蒸気機関車でした。   

 同機は、一時期、プロイセン国鉄で最も経済的な機関車だったそうです。

 本機の設計にあたって、当時、プロイセン王国邦有鉄道では許容軸重が16tにとどまったことから、軽量化が必須でした。

 しかしこれには無理があり、路盤の強化に伴い、構造が強化されています。 

 本機で特徴的なのは、動輪で、なんと直径2,100mmという大径動輪を採用しております。

 これは後の制式急行用機 BR 01やBR 03よりも大きなものです。

 採用の理由としてWikiによると、「速度を低く抑えてエンジンのスムーズな動作を確保するために、あまり一般的ではない2100mmの直径を備えていた。当初は直径2200mmを計画していたが、最終的には100mm縮小された。エンジンの重量集約的なマスバランスも節約によって悪影響を受けた。これにより、運転中に顕著なガクガクした動きが発生した。この問題は、テンダーを減衰質量として機関車にさらに近づけて連結し、緩衝スプリングの予荷重を増やすことで解決した。」 

とありました。

 S 6は欧州でも最も軸重の大きな2' B機となりましたが、S 7よりも優れた性能を発揮しました。

  あと、初期の生産車はいわゆる風切りキャブを採用しておりましたが、傾斜した前面窓ガラスの乱反射によって機関車の乗務員が夜間に視界を遮られる問題があり、1908/1909年製造分から、キャブ前面が平らに変更されています。

 S 6 は 100 km/h時に最高出力 870 kWに達しました。

 平坦部では、500t (4軸客車13両)の列車を90km/hで牽引しました。

 また給水予熱器を備えた場合、性能が約 10 %向上したそうです。

 S 6は、ベルリン、ケーニヒスベルク、ザールブリュッケンを除くすべてのプロイセン鉄道総局に配備されました。

 しかしこの時代、鉄道の進化速度は著しく、列車の高重量化、高速化は日進月歩でした。

 BR 14(S 9)の項でも記しましたが、駆動軸Bでは要求性能を達することが難しくなってしまいました。

 実際、早くも1910年には、重急行列車の運用が、S 6から軸配置2' CのS 10 (BR 17)に置き換わっています。

 1923年からのドイツ国鉄 DRG の番号再編成計画では、442両の S 6は13 1001から13 1442までの番号が付けられる予定でしたが、最終的には、13 1001から13 1286までになりました。

 本機の引退は早く、1926 年から 1931 年の間に廃止されました。

 他方、第一次世界大戦の戦時賠償として、ポーランドに81両(Pd 5)、ベルギーに42両(66形)、イタリアに2両(553形)、リトアニアに1両が渡っています。

 この内、イタリアでは1920年代に用途終了となりましたが、ベルギーでは1956年まで長い間使用されました。

 Pd 5は第二次世界大戦中、56 台がDRGへ復帰し、BR 13 501-556 となりました。

 元来のBR 13.5(S 4)は、1927年に廃止されていたため、番号を使用したことになります。

 戦後、BR 13.5のうち37両が再びポーランドへ復帰し、1958年まで使用されています。

 なお、STANDARD-GAUGE LOCOMOTIVES IN POLAND の Pd5には、

「しかし、1機のS 6はまだポーランドで見ることができます。この機関車 (KPEV Altona 656、その後DRG 13 1247Linke-Hofmann 934/1912、 DRGで実際に運用されたこのクラスの最後の機関車は、第二次世界大戦前にブラウンシュヴァイクで教育展示用に改造され、ボイラーケースを部分的に取り外した状態で戦争勃発までこの目的で使用されました。どういうわけかワルシャワにたどり着き、旧鉄道学校の敷地内に台座として置かれました。2010 年 月にこの機関車はPS MK鉄道ファン協会に引き渡され、(陸路でスキェルニェヴィツェ車両基地に移送されました。PKP で運用されたことはなく、 現在の運用番号 Pd 5-17 (以前は Pd 5-5) はまったくの架空のものです。これは今日まで生き残った唯一の S 6 ですが、残念ながら全体的な状態が完全に満足できるものではなく、多くの詳細が欠落しています。」

との記載がありました。

 同HPやWikiの写真ではカットモデルになっているようです。

 以上、Wikipedia 独語版 Preußische S 6 及び STANDARD-GAUGE LOCOMOTIVES IN POLAND より引用、参照いたしました。

 それで模型の方ですが、 1931年にドイツで引退している邦有鉄道機だけに、模型化されている数は少ないです。

 Modellbau-Wiki DR-Baureihe 13 によると、量産製品は2000年初回発売のFleischmann、少量生産品でも Westmodel しかありません。

 それでこちらのGFN(Gebrüder Fleischmann Nürnberg)製品ですが、 同社のHO蒸気機関車としては最晩年の製品となります。

 故に大変良くできていると思います。

 このあたり一目見れば、GFN製品とわかりますね。

 シャープな動輪、カチッとして水平/垂直がしっかり出ています。

 レタリングの美しさも際立っていますね。

 ほんとHOとは思えないですよね。

 車番からわかりますように、こちらは最後期の生産型なので、キャブ前面は風切り型ではなく、通常の平面になっております。

 同社の赤は独特です。

 この色なかなか、市販製品に合うのがないんですよ。

 プロイセン機のテンダーステップは独特の形状ですね。

 G 3も同様な形状をしています。 

 ほんとGFNがHOの生産を止めてしまったのが惜しいです。

 GFNのBR 13は同社伝統のテンダードライブです。

 テンダーはダイカスト製ですが、質感の差があまりないのは流石です。 

 典型的なプロイセンテンダーでしょうか?

 もう35年位前になりますが、トレインのショールームでドイツの少量品メーカーWestmodelのS 6を見たのが初めてでした。

 しかし当時(今もですが)、私がそんな高額なものを買えるはずもありません。

 また欧州少量生産品の常ですが、価格の割に出来は今百でしたね。

 出来というのではなく、日本製品に比べると仕上げが荒い気がします。

 そんな中、GFN製品が発売されたのは知っておりましたが、同社の生産量が少なくなった頃で、入手はかないませんでした。

 一度EGSでAC3線式の邦有鉄道仕様を見かけただけです。

 ところが先日、某オクで見かけ、応札しましたが、見事に競り負けてしまいました。

 アナログ蒸機に2万以上は出したくなかったです。ケチですね。

 そのすぐ後に某所で偶然入手しましたが、ボイラー前面手すりに破損があったものの、もう二度と機会はないものと諦めていたので、とてもラッキーでした。 

 2025/3/23 記



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