鉄道模型 ドイツ連邦鉄道 DB 無蓋車 Om 21 750305(ROCO 46058)

 今回はドイツ連邦鉄道 DBの無蓋車 Om 21について紹介します。

 Om 21はDRGのOm Königsbergです。

 Om Königsbergは、Austauschbauartに属する無蓋車(コークス貨車)です。

 第一次世界大戦の敗戦後、それまではドイツ帝国を構成する各王国が独自に保有していた鉄道が統一され、ドイツ鉄道公社DRG=Deutsche Reichsbahn Gesellschaftが発足しました。

 これにより、それまでは各王国保有鉄道が独自に導入していた車両が、統一されることになりました。

 統一前のドイツにおいて、各王国の鉄道幹線は同じ標準軌1435mmで結ばれており、当然、国をまたいだ運用は実施されていました。

 そんなこともあり、DRG発足前から標準化は進められていました。

 具体的には、プロイセン王国邦有鉄道の標準規格 Normalieは、他の邦有鉄道でも採用されておりました。

 そしてさらに共通化を進めるため、1909年にドイツ国立鉄道協会(Der Deutscher Staatsbahnwagenverband、DWV)が設立され、代表的な一般仕様の貨車11種類について、標準化を行いました。

 標準図 (Musterblatt) A1〜A11で制定されたこれらの貨車のことを、Verbandsbauartと言います。

 なお、この作業において、ドイツで最も車両が多く、かつ標準化の進んでいたプロイセン王国邦有鉄道の設計が11種類中、9種類も採用されました。

 このVerabandsbauartは、折しも第一次世界大戦の時期と重なったことから、信じられないくらいの大量生産が行われました。

 中でも有蓋車A 2は135,000両、無蓋車A 10は20万両以上と、共に欧州大陸最高の生産数を誇ります。

 という事で標準化は進みましたが、一方、限界もありました。

 というのも設計の標準化は進んだものの、実際には部品の標準化が進まなかったため、部品が使えないという問題が発生したのです。

 ドイツでの本格工業規格は1917年に制定されたことからも、その辺の事情を推察することが出来ます。

 さて、第一次世界大戦で敗北し、鉄道が大きな損害を受けた上にヴェルサイユ条約の天文学的賠償金を背負わされたドイツでは、鉄道の統一を統一することによる合理化が必須でした。

 そこで、貨車についてAustauschbauart=互換設計という設計基準を設け、対応することになりました。

 このあたりの経緯は、Wikipedia 独語版 Güterwagen der Austauschbauart から引用しますと、

「1924年にドイツ国鉄(Reichsbahn-Gesellschaft )が経済的に独立した企業として設立されると、コストを可能な限り低く抑える必要性が高まった。このため、貨車製造における互換性のある設計原則が導入され、DIN規格を補完する形で「貨車規格委員会」(Awana)によって、このタイプの貨車の設計図が作成された。その目的は、貨車の設計を可能な限り標準化し、部品を改造せずに交換できるようにすることである。

これらの設計図は、依然として貨車の標準設計図を大部分ベースとしていた。しかし、当初の11種類の標準貨車のうち、互換性のある構造として採用されたのは8種類のみであった。図面A1(開放型貨車)と図面A5(台車付き貨車)に基づく貨車は、もはや最新の設計ではなかったため、互換性のある設計を用いて少量生産されたに過ぎない。図面A6に基づく短尺開放型石炭貨車は、互換性のある設計を用いて製造されることはなかった。

しかし、世界経済危機によって輸送量が減少し、それに伴って貨車の需要も低迷したため、交換式貨車の製造数は標準型貨車の製造数には遠く及ばなかった。

互換性のある設計のリベット留め貨車は、戦時中に設計された後期の貨車とは異なり、堅牢な構造であったため、ドイツの鉄道会社によって戦後数十年にわたり大きな改造を加えることなく使用され続けた。」

(Wikipediaより引用/当方にて翻訳・一部専門用語を補正)以上引用終了。

 ここで言う、「貨車の標準設計図」とはVerbandsbauartのことだと思います。

 また互換設計においては、標準的な車種以外の特殊貨車、具体的には冷凍車、家畜車、鉱石車、ホッパ車、航送貨車なども制定されました。

 そしてこのAustauschbauartの20t積み無蓋車(コークス車)として作られたのが、Om Königsbergです。

 バッファ間距離: 9.1/9.8m(ブレーキ室の有無)、軸距: 4.5m、積載量: 20t

 設計に際しては、互換設計が取り入れられ、同じ互換設計の有蓋車Gr Kasselと同じシャシーを採用しています。

 本車の設計は、Verbandsbauart A 10(Om Breslau/Essen)に類似していますが、A 10との見分け方は、側面の斜めの補強板がドア脇の1区画にしかないことと、ドア下にトラス状の補強構造があることです。

 また側板最上部に補強用の鉄枠?があるように見えますね。

 この枠はA 10にはありません。

 とは言いましても、この構造はVerbandsbauart A 10の最終型から適用されていたという話もあります。

 Om Königsbergは、1927年から製造されましたが、折しも世界大恐慌にぶち当たり、ドイツの経済が最低レベルにあったこと、また何と言っても、DRGにA 10が13万両以上存在したことから、ずっと少ない両数に留まりました。

 具体的には1927年から1933年の間、約15,000両(諸説あり)が製造され、次の溶接設計貨車に引き継がれました。

 しかし、思わぬところで生産が再開されます。

 というのも第二次世界大戦の勃発により、貨車需要が急増した結果、ドイツの占領地の工場でもOmを製造する必要が生じました。

 上記のように、開戦時にはより大型の全溶接貨車Omm LinzやKlagenfurtなどが生産されていたのですが、東西の占領地の工場では、溶接構造が作れないため、全リベット構造のOm Königsbergが引き続き、製造されることになりました。

 生産は1940年から1942年の間、実施され、戦前生産分を合わせて19,979両が製造されました。

 なお、この数字は最新のBRAWAの説明書ですが、Wikipediaでは総数で24,000両強としています。

 Om Königsbergは戦後、多くがDBに継承されました。

 1951年にOm 21に改称されています。 

 ROCOのシンプルシリーズは、コストダウンのためか、同じシャーシーを複数の車両で共用化しています。

 上写真で、Om 21(上)はOm Duisburgもどき(下)と全く同じことがわかると思います。

 なお、Modellbahnfloklerによりますと、この足回りその2……すなわちバッファー間距離: 104mm、プレーンベアリング、スプリングシャックル……は、G 10(正体はÖBBへ行ったG 10)やG 20(ではなく正体はG 90=PKP Kdf)とも同じなんだそうで、Om 21にしてはやや長めなのですが、Om Duisburgとしては大幅に短いのです。

 さらに困ったことに、Om Duisburgの特徴でもあるシャーシー下部の補強トラスが成形されているのです!

 こんなものは、Om 21にもG 10、G 20(G 90)にも存在しません!!

 話をDBに戻しますと、Om 21は、1950年に発足した独仏の貨車プール組織EUROPに所属しました。

 こちらの製品にも白枠内にEUROPと記されていますね。

 EUROPは、プールの参加国間では、空荷の貨車を返送せずに、自国で整備を行えば使い続けることが出来ます。

 これにより、空車の返送をなくすことが出来、大幅な運用合理化が図られました。

 ただし、全検は所属国でないと行えないそうです。

 当初、有蓋車と無蓋車で始まったEUROPですが、その後車種が拡大されるとともに、西側の多くの国が参加しました。

 第二次世界大戦期に続き、再びヨーロッパで使用されるようになったOm 21ですが、戦時中の酷使や木造車体の傷みが激しくなり、更新が行われました。

 まず、Om 12やOm 21を解体して、部品を取り外し、構造材を再溶接することにより、Om 31(DB)に生まれ変わりました。

 このOm 31(DB)は資料が少なく、詳細はわからないのですが、戦前の全溶接構造のOm Breslau/Om Essen(全長9m、WB 4.5mで側面形状はOm 21に類似)とほぼ同等だったようです。

 側板は当初、木製でしたが、やがて支柱を転用し、金属外板に張り替えたものも現れたという情報がありました。 

 しかし、1953年になると、1950年にEUROPのために制定された欧州共通規格の無蓋車UIC 571-1 TYPE 2が作られるようになりました。

 このUIC TYPE 2は、側面に積載ドア1箇所、ブレーキなしは両妻面に積載フラップ装備という戦前型無蓋車Omの基本配置と同様でしたが、全金属製のフレームと車体を持ち、また長さが10mに大型化され、それに伴い、WBが5.4mとなっています。

 UIC TYPE 2の新造車は Omm 55ですが、DBは経済的に苦しかったようで、旧型車のリビルトが積極的に行われました。

 このリビルト車 Omm 54の種車として、多くのOm 12とOm 21が解体され、部品が転用されました。

 しかし、BRAWAのHPによりますと、Omm 54の実態はほぼ新造車であり、僅かに元車からブレーキを転用しただけとのことです。

 議会対策で表向きリビルトとしたのでしょうか?

 いずれにせよ、リビルト車の種となったことからOm 21は激減しました。

 1961年には僅か390両が残存するだけで、1969年には廃車となっています。

 それで上記の通り、ROCOのOm 21は、シンプルシリーズです。

 Modellbahnfloklerによりますと、このシリーズは1977年のカタログには既に16種類が掲載されていたようです。

 ただし、初心者向けの8両セットに含まれる車両は入手が容易ですが、めったに作られていない車種もあります。

 肝心な出来の方ですが、今から半世紀も前の製品の上、コストダウンのために足回りを兼用した結果、実車の印象からかけ離れてしまった車種が多いです。

 そうでなくても、見た感じが似ていない製品や、ÖBBのG 10やG 90=PKP Kdfなど、プロトタイプの選択が理解に苦しむものもあり、精度が向上した今日ではあまり価値のある製品とは言えないと思います。

 そんな中、Om 21はOmm 52と並んで、寸法的にやや怪しいものの、他と比べれば良い出来だったそうで、辛口で鳴るModellbahnfloklerでも、それなりの評価を受けています。

 しかし、21世紀に入り、当のROCOがOm 21の完全新製品を発売し、また高級製品を数多く出しているBRAWAも続きました。

 この2つとも大変よく出来ており、いわばOm Königsbergの決定版とも言える存在のようですので、ROCOのシンプルシリーズの影は薄くなってしまいました。

 とは言え、少なくとも日本では、これら21世紀のOm 21は入手が難しいのもまた事実です。 

 上記写真のように、共通シャーシーには実車には存在しない補強トラスがありますので、切除しました。

 材質が軟プラですので思いの外、切りにくかったです。

 ボディ下の補強構造部分を傷つけてしまうので、シャーシーを分解して作業しました。

 ところで、ROCOもABSの経年結晶化からは逃れることは出来ません。

 以前、別件で分解しようと思って、車体が破損したことがありました。

 今回もそうなるかと思ったのですが、ABSの材質が異なるのか、今回施工分はまだ弾性が残っていたので破断することはありませんでした。

 以前の破損した車は分解できないので、車体がついたまま切除しましたが、やりにくかったです。

2026/8/6 記

 

 

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