ドイツの1号機関車 バイエルン・ルートヴィヒ鉄道 "Der Adler" (Märklin 26350)
今回は、ドイツの1号機関車とされるDer Adlerについて紹介します。
Der Adler (鷲) は、南ドイツの商業都市ニュルンベルクに存在したドイツ最初の鉄道であるルートヴィヒ鉄道の機関車です。
<Der Adler主要諸元>
型式:1A1n2、バッファ間距離:7.26m、運転重量:14.3t、軸重:6t、軸配置:1A1、動輪径:1,372mm、飽和式二気筒、出力:21PS、ボイラー圧力:4.2bar、最高速度:65km/h、巡航速度は24-28km/h
1835年と1836年に、英国 ニューキャッスルのロバート・スティーブンソン & Co. でAdlerとPfeilの2両が製造されました。
1825年、英国における鉄道開業、そしてその実績のニュースは世界中に広まりました。
それはドイツにおいても同様で、バイエルン王国でも鉄道建設の機運が高まり、1833年、ニュルンベルクに本拠を置く王室特権ルートヴィッヒ・アイゼンバーン・ゲゼルシャフト(LEG)が設立されました。
LEGはバイエルン全土を対象とした排他的な鉄道特権を要求しましたが、ルートヴィッヒ1世は30年間に制限しました。
路線は、鉄道先進国英国の技術を用い、当時王国で最も交通量の多かったフランケン地方の都市ニュルンベルクーフェルト間に敷設されることになりました。
開業は1835年8月25日に予定されていましたが、技術的問題や土地収用の問題があり、何度も延期され、1835年12月7日までずれ込みましたが、最初から成功だったようです。
この鉄道の機関車に要求された仕様は、10tを牽引して、ニュルンベルクとフュルト間の距離を8~10分で走行でき、かつ木炭を使用できるというものでした。
要求に対し、種々検討され、また紆余曲折があったようですが、最終的に1835年5月、客貨車を含め、イギリスのニューカッスルにあるスティーブンソン機関車工場へ発注されました。
機関車は1835年10月に分解された状態でドイツに到着し、11月に完成しました。
一方、スティーブンソンが供給した客車は重量が過大であったため、客貨車は急遽、ドイツの各社に発注されることになり、1835年8月に最初の車両が完成、開業までに3等車2輌、2等車4輌、1等車3輌の合計9輌が完成しました。
Der Adlerの構造は、金属板で覆われた木のフレームの上に作られました。
台枠の内側に2つの水平シリンダーを飽和蒸気で動作し、中央の動輪を駆動しました。
急カーブを通過できるように動輪はフランジレスになっています。
オリジナルのホイールは鋳鉄で、鍛造ホイールリムを備えていましたが、その後、より頑丈な錬鉄製の車輪に置き換えられました。
中空スポークには木製コアが含まれており、衝撃をより良く吸収します。
機関車のすべての車輪にはブレーキがなく、炭水車の2つの車輪にスピンドルブレーキが作動しました。
当初はコークスが、その後は硬炭が燃料として使用されました。
こうして1835年12月7日、Der Adlerは26歳のイギリス人ウィリアム・ウィルソンの運転で、200人の主賓を乗せ、6.05kmを初めて9分で公式に走行しました。
この機関車は最大9両で運行され、最大乗客数は192名でした。
通常の所要時間は約14分でした。
機関車を保護するために最高時速28kmで走行しましたが、単機のテストでは最高65km/hが可能だったそうです。
しかし、ほとんどの場合、依然として馬が代用として使用されました。
理由として、石炭の値段が高く、また暖気に時間がかかること、更にはDer Adlerは非常に高価であり、あまり使いたくはなかったからだそうです。
しかし試みは、最初から成功であり、最初の二年間、輸送した人員は予想の二倍でした。
こんなこともあり、開業の翌年には同型のPfeil(矢)が増備されています。
1839年から本格的に運行が始まり、貨物も頻繁に運ばれるようになりました。
11年間の運用の後、Der Adlerは根本的にオーバーホールして修理する必要があり、Pfeilも改修されました。
取締役会の報告書に記載されているように、これらのマシンはそれぞれ 11、10年間、3万2168回の運用で250万人以上を運び、約10万3000キロを走行したが、体力の衰えは見られませんでした。
しかし、このシリーズの機関車は、欧州でももっとも小型で最も弱く、その割には石炭の消費量が多いという問題がありました。
そんなこともあり、Pfeilは導入から17年後の1853年に売却されました。
一方のAdlerは22年間使用され、1857年に引退しました。
Adlerは引退後、定置ボイラーとして使われ、1857年に車輪やその他が失われた形で売却されました。
その後の消息は不明です。
なお、Adlerの写真は一枚しか存在せず、またこの写真も撮影時期不明で、かつ模型かもしれないとのことです。
このようにドイツの交通史に燦然と輝くLEGですが、上記の通り、開業からしばらくの間は大変好調でしたが、並行してニュルンベルク-フュルト間の馬車鉄道が建設され、1896年に電化されると一気に環境が変化しました。
LEGは1893年以降、複線化を図りましたが功を奏さず、第一次世界大戦敗戦後のハイパーインフレにより、1922年10月31日に運行を停止し、そのまま廃止されてしまいました。
それはともかく1925年ニュルンベルク交通博物館を建設するにあたり、Der Adlerを復元する計画が立てられました。
とは言うものの、オリジナルは完全に消滅していましたし、資料もほぼ皆無と言ってよい状態でした。
更にはドイツの命運を大きく変えてしまった1929年の世界大恐慌により、計画は消滅してしまいました。
その後、1935年のドイツ鉄道100周年に合わせ、DRGによりレプリカが作成されました。
これは各地で運転され、戦後まで残存しました。
1984年にドイツ鉄道150周年記念より、オーバーホールが施されました。
150周年の行事では各地で運行されています。
ただし1985年末から1999年までは運転されませんでしたが、その後は運転される機会がありました。
しかし、2005年10月17日に発生したニュルンベルク車両基地の扇形機関庫大火災により、他の保存車両と一緒に炎上してしまいました。
とは言うもののドイツ鉄道により大変重要な車両である本車は大災難から時を置かずして復元されることが決まりました
復元に際しては燃え残った部品を極力使用した以外に、1935年のレプリカではなく、可能な限り、原形に復する努力が行われたようです。
こうして2007年11月23日に作業が完了しました。
現在はニュルンベルク交通博物館に展示されているそうです。
以上、Wikipedia 独語版 LEG – Adler und Pfeil 及び Ludwigseisenbahn より、引用、参照いたしました。
それで模型の方ですが、Modellbau-wikiによりますと、HOの量産品は1962年のTRIXと2000年初回発売のメルクリンしかないようです。
TRIXは以前持ってましたが、完全なオーバースケールモデルでした。
発売された時代故、仕方ないと思いますが、あまりにも大きいので現代では通用しないと思います。
一方のメルクリンは同社の技術の粋を投入して作られた製品であり、大変繊細な出来となっています。
こののちにスイスの一号機関車Spanish Brötliを出していますが、Adlerの方が出来は繊細だと思います。
オープンの運転台ですが、本当に繊細な出来ですね。
こちらは客車とのセットですが、運転手等のフュギュアも付属します。
繊細なプラ製の部品なので、経年劣化が怖いですね。
塗色もとてもきれいです。
独特なバッファもよく出来ています。
車輪のスポークも細かいですね。
すごいのはシリンダです。
こちらは二気筒機ですが、可動します。
こんな軽量な車両ですが、さすがは三線式だけあって、集電不良もなくよく走りました。
スケールは計測していませんが、どれくらいでしょうか?
2024/7/23 記
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