私鉄 LBE 高速旅客用蒸気機関車 1号機 (DRG BR 60 001) (KEYSER)

 今回は、私鉄LBE(Lübeck-Büchener Eisenbahn)の高速旅客用タンク式蒸気機関車 Nr. 1を紹介します。

 有名なドイツ国鉄 DRGの高速機関車 BR 61を寸詰まりにしたようなスタイルのこの機関車は、戦前の流線型ブームの際に誕生したLBEの高速機関車であり、当時としては画期的な急行列車の牽引機でした。

<LBE 1~3主要諸元>

 型式:1'B1'h2、バッファ間距離:12.38m、運転重量:69t、軸重:18.3t、軸配置:1B1、動輪径:1,980mm、過熱式二気筒、出力:不明、ボイラー圧力:16bar、最高速度:120km/h

 LBEは、北ドイツのハンブルグとリューベックの間を結んだ私鉄です。

 1863年に開業し、1938年に国有化されました。

 1933年、LBEは近代化計画の一環として、当時、他に類を見ない近代化された急行列車の投入によるハンブルク‐リューベック間の高速化を図りました。

 この計画のために投入された客車は、当時としては画期な車両であり、エアコンを装備した流線形のオール2階建て連接式2両編成というものでした。

 更には、運転合理化のために、終端駅で機関車の付け替えの必要がないように、客車に運転台を設置して、そこから機関車を制御するという推進運転を行いました。

 連結器も一般的なバッファー&リンクではなく、シャーフェンベルク式の自動連結器が装備されています。

 この列車のため、1936年、カッセルのヘンシェル社で作られたのが、LBE Nr .1及びNr. 2です。

 LBE Nr. 1は、この列車に特化された設計であり、推進運転を実施するための遠隔操縦装置の他、前行進の両方向に等価に走れるように設計されておりました。

 一方、LBEは平坦線であり、また牽引するのが客車2輌だけなので、運転重量が69.0tと低く、1B1というこの時点では過去の存在となった軸配置が採用されたのではないでしょうか?

 おりしも登場時、全世界で流線形が大流行しておりましたので、流線形カバーををまとっていました。

 本機は120km/hという高速機でしたので、それなり効果はあったのかもしれません。

 なおこの列車ですが、電気式の遠隔制御装置が搭載され、推進運転時には機関士は客車の運転台に座り、機関車を制御しました。

 しかし、給炭作業は人手に頼っていたので、火夫は機関車に残り、相互の連絡はベルと電話で行われたそうです。

 この推進運転(Wendezug)方法は、制御車の運転手が、信号確認とブレーキ弁操作だけであったDB時代の蒸気機関車による推進運転ものよりも進んでいますね。

 ちなみにDBではこの遠隔操作方式をテストしたものの、1956年には断念しています。

 さて、この列車は大好評を博したため、直ちに増備されることになりました。

 1936年に客車が6輌発注されています。

 客車の増備に対応する形で、1937年、Nr. 1より水タンクとボイラーが大きくなり、重量が増加したNr. 3が追加されました。

 しかし3号機だけでは足りず、LBEは同鉄道で使用されていた11輌の元DRG BR 74 1311-1321のうち5輌(LBE 138、139、140、142、143)に、本機と同様な推進運転装置を搭載して対応することにしました。

 これらの改造BR 74には、本機のような流線形カバーまで取り付けています。

 しかしBR 74の最高速度は80km/hに過ぎず、流線形の効果は低かったので、1948年には取り外されました。

 余談ですが、この改造機の流線形カバーはとってつけたようなもので、およそ良いスタイルには見えませんね。

 さて、好評を博していたLBEの急行列車ですが、1938年、LBE自体が国有化されてDRGに吸収されてしまいました。

 国有化に伴い、LBE 1~3は、BR 60 001-003となりました。

 そのまま急行列車用として運用されましたが、1939年の第二次世界大戦勃発に伴い、急行列車は廃止され、推進運転も行われなくなりました。

 BR 60は、高性能な高速機関車ではありましたが、平地の旅客用に特化した専用機関車であり、戦時にはあまり用途がなかったのか早々に引退しました。

 私鉄FKE(Frankfurt-Königsteiner Eisenbahn)へ売却される話もありましたが、同線には勾配があり、BR 60では力不足で成立しませんでした。

 3輌全てが戦争を生き抜くことができたBR 60は、戦後、東ドイツ国鉄DRに継承されました。

 しかし、特異な特性からほとんど使用されることがなく、1958年頃までに全てが運用停止となり、1967年までに解体されています。

 以上、Wikipedia独語版 LBE Nr. 1 bis 3 及び Doppelstock-Stromlinien-Wendezug der LBE より引用、参照しました。

 それでLBE Nr. 1のHOの量産模型ですが、Modellbau-wiki LBE Nr. 1 bis 3 によりますと、1981年初回発売のLima製品だけのようです。

 専用の流線形客車とのセットで販売されておりましたが、先程調べたところでは、単品売りもあったようですね。

 ところでModellbauwikiには、198?-91とありますが、実際にはこの製品は途中で改良されているように感じます。

 また初期のバージョンは、朝日通商がLimaを扱っていた1970年代の終わり頃には既にあったような記憶もありますね。

 更に晩年の製品は塗装や連結器が変わっていたようにも思います。

 初期のLima製品は中古市場で時々見かけましたが、流石に最近は見かけなくなりました。

 それでこちらで紹介するのは、フランスKeyser社のキット完成品です。

 完成品を偶然入手しましたが、珍しいものと思います。

 同社製品ですので、ホワイトメタルのキットになります。

 確かに現代の量産品と比べるには酷ですが、感じは出ています。

 BR 61のようなバッファーですね。

 シャーフェンベルク式自動連結出来はない仕様ですね。

 こちらはLBE 時代ですので、塗色はグレーになっています。

 登場当時この色とスタイルから、本機はミッキーマウスとあだ名されたようですね。

 なお、ドイツではミッキーの人気が高く、Bf 109にもイラストを描いている例があります。

 戦争中でも特に問題にならなかったようですね。

  足回りも他の量産製品からの転用ではなく、独自のものです。

 その分精度が低く、走りの方はお世辞にもよくありません。

 こちらも揺れてしまいますね。

 いずれにしても、このキットを組むのは相当大変だったと思われます。

 組んだ方の技量が思い浮かべられますね。


 と言うことで革新的ながらも短期間で姿を消したLBE Nr. 1ですが、入手できてよかったと思います。

2024/5/25 記

 

 

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