鉄道模型 何もかもが変だった2000年頃

 前回に続き、思い出話をしたいと思います。

 注意事項も前回通りです。  

 今回の記事は従来にも増して、偏った視点になっています。

 よって不快を感じられることがあるかと思います。

 いつも通りですが、私の意見が正しいとも、人様に強制するつもりも全くありません。

 あくまでDB103の感じたままを記しました。

 よって、そういうのでも許容できるよって方は、この先お進みください。

 異論を受け入れるのが苦手という方は、ブラウザバックをお勧めいたします。

 また、あくまで当時の思い出なので、本件について論議するつもりはありません。

 どうかお許しください。



 前回の題名が変だったように感じられた方も多いと思います。

 文章力がなくて申し訳ありません。

 あの話には今回の話が繋がります。

  

 昨今、山のような新製品が供給される一方、大幅な価格上昇で、なかなかついていけないという方も多いと思います。

 もちろん私もその一人です。

 史上最高の株価なんて言っていますが、大多数の人間にとっては、関係ない話です。

 急騰する株価や物価に対し、思いの外、所得は上がっていないので、なおさらそう感じるのでしょう。

 

 そんな中、今では本当に多くの方が中古品を手にするようになりました。

 かく言う私など、入手品のほぼ全てが中古という状態です。

 このことが模型鉄道界にとってプラスかと言われたら、恐らくそれは違うと思います。

 とは言うものの、新品価格が上昇の一途を辿る一方、あくまで私個人にとってですが、手に入る範囲の価格帯には、あまり魅力的な製品が供給されず、欲しいものは予算の遥か上という状態なので、中古しか選択の余地がないのも、また事実です。

 

 そんな中古ですが、当たり前のことですが、栄枯盛衰がありました。

 と言うよりも、これほどまでに浮き沈みの激しい世界というのも珍しいかもしれません。

 

 あらゆる模型趣味の中で、単価が高い模型鉄道には、最も古くから中古という存在があったように思います。

 実際、私が最も古くに手にした中古品は、1977年のこと、とうの昔に閉店した西荻窪のナカマ模型鉄道模型館にあったFlesichmann PiccoloのDB BR 50 キャビネンテンダーでした。

 今から47年も前に、確か12,000円もしたのを覚えています。

 最も新品は当時でも2万円以上したはずですが。

 店主に勧められ、当時のことですので、相当無理をして買ったのですが、あとで炭水車の車掌室部分のステップが折れて欠品であることに気づきました。

 気づかないほうが悪いのでしょうが、上記の通り当時の私には、とても高い買い物でしたので、これには心底がっかりしました。

 

 これから相当間が空いて、1986年頃でしたか、手持ちのNを全部、これも閉店した伊勢崎のエルホビーに引き取ってもらいました。

 結構珍しいのがあって、相当な数でしたが、確か全部で3万円ではなかったでしょうか?

 確かに安いですけど、今の買取ショップよりは、遥かに良心的な価格だったと思います。

 

 そんな私が再び中古と出会うのは、1980年代の終わりであり、当時、細々と欧州型HOを扱っていた渋谷のアサヒホビーでした。

 また、有名なモデルバーンなども、不定期で中古を扱っていましたね。

 同店ではRivarossiのCIWL客車を買いました。

 確か7,500円でした。

 今の目で見ると、高いと感じられる方も多いと思いますが、当時、新品は1.5~2万円くらいしたような記憶があります。

 その後、1990年代になるとスワップミートがありました。

 年1回、12月の第二週にやってましたよね。

 こちらも何回か行きました。

 すごい熱気でしたが、欧州形はそれほど出品はありませんでした。

 中古は、今ほどではないですが、新品価格に対して安かったですし、何よりも「欧州型真冬の時代」であり、扱っている製品がとても少なかった当時、貴重な存在でした。

 とは言うものの、この時代の中古はまだ日陰者でしたね。

 

 そんな状態が急展開したのが、1997年頃の天賞堂エバーグリーンショップの開店です。

 EGSは模型界に革命をもたらしました。

 それまでの中古店と言えば、品数は少ない、価格は高い、そして何か薄暗い店内で、入りにくい。

 そして何よりも、売って遣わすと言うか、独特の雰囲気がありました。

 当時、欧州型HOに出たばかりの私には、何とも形容し難い敷居の高い世界でした。

(最もこういう感じが好きという方もいらっしゃいますが。)

 EGSは品揃えも豊富、価格も最後まで安めでしたし、店内も明るく、店員もそれまでの中古屋のオヤジとは違ってました。

 天賞堂は接客ができますので。(人によりますけどね。)

 あの頃、天賞堂の店員さんは、お客さんは3Fは素通りで、みんな4Fへ行くって言ってましたね。

 いずれにしても、それまでの中古店の常識を根底から覆したEGSの成功が起爆剤となり、次々と中古店が誕生しました。

 そしてもう一つ。

 1999年?から始まったヤフーオークションが模型鉄道の世界を根底から変えてしまいました。

  折しも私自身、1996年にJへ進出し、更に1997年に日本型Nに復帰した時期にあたりますので、尚更その感を強く持ちます。

  

 で、前置きはともかく、本題ですが、返す返すも1997~2002年頃のNの世界って、今とは違いました。

 本当におかしな時代だったと思います。

 あの頃は何もかもが品薄でした。

 中でも一番ひどかったのが、前回の記事に上げました皆様よ~くご存知の日本型Nゲージの黒歴史の代表格でもあるKATOの189系さようならあさまですが、決してこれだけではありません。

 ともかく何もないのです。

 2024年と比べると、あの頃は趣味人口が多かったにしても、それはそれは酷いものでした。

 当時、私は碓氷峠の近くに住んでおりましたので、尚更その感を持ちました。

 私の周囲の方に模型鉄道に興味を持つ人も居ないことはなかったのですが、模型屋に行っても欲しい車種は何もありません。

 よって、諦める人が実際居ましたね。

 私個人は、あのときの各メーカーの無策及び愚策の極みが、今日の模型鉄道界衰退の一因となったと思っています。

(この一文が言いたかったがために、前回の題名を採用しています。両方読まなきゃわかりませんよね。申し訳ありません)

  それで話を戻して、あの頃、私が知る限り、下記のアイテムに希少価値があり、人気を呼んでました。

宮沢

 165系なのはな 

 711系

 381系パノラマしなの

 キハ81系

KATO

 189系さようならあさま

 189系グレードアップあさま

 165系さようなら東海

 183系房総タイプ(ホビセン)

 117系福知山

 165系ムーンライト旧色

 ミト座ふれあい

 C57やまぐち号、同客車

 165系ムーンライト新色

 185系リレー号

 165系パノラマアルプス

 14系レインボー

 165系各種

 185系各種

 103系

 115系

 EF65レインボー

 EH10(305)

 251系スーパービュー踊り子増結

TOMIX

 207系

 EF63

 Cタンク

 

 いやいや、2024年の今見ると、不人気アイテムばかり。

 こんなものにプレミアが付き、中古屋に朝から人が並んだなんて、今の若い方には到底信じられないでしょうね。

 あくまで私の記憶ですが、当時KATO製品には異常なほどの人気があり、これら以外にも485系、583系など飛ぶように売れていましたし、当時出たキハ85系、681系、787系などもあまり中古は出ず、出るとあっという間に売れてしまう状態でした。

 そういう意味では、TOMIXのHGキハ58系や165系もよく売れておりましたね。

 

 これは自身の体験ですが、1996年にNへ復帰し、当時碓氷峠の近くに住んでいた私は、EF62が大好きで、牽かせる14系レインボー客車が欲しくてたまりませんでした。

 そこである中古店(店名は失念)に在庫があると知り、会社の昼休みに電話したところ、なんと30,000円!!と言うのです。

 いくら欲しくても、これでは諦める以外にありませんでした。

 当時の定価の3倍、今の市場価格の5倍位でしょうか?

 何とも馬鹿げた時代でしたね。

 更に言うならば、現在、不人気アイテムの極致とも言えるTOMIXの旧EF63ですが、当時としては破格の価格(M+Tで確か13,000円)ながらこれもまた超人気アイテムでした。

 確かに当時の他製品と比べると良い出来でしたが、まだ誘導員手すりが別体となる前の製品です。

 私も買いましたが、中古でも新品の1割引くらいだったように記憶しています。

 そうそう、横川の博物館だったか駅のジオラマから、EF63が盗まれたなんて事件もありましたね。

 

 さて、あれから20有余年が経ち、現在、上記のアイテムの殆どは、後継製品の発売等により、不人気の極致となっているのは既に述べた通りです。

 今になってみると当時なんであんなことになっていたのか、不思議に思う方も多いのではないでしょうか?

 いずれにしても、メーカーが「供給責任」を果たせば、あんなことにはならなかったと思います。

 特にKATO製品は出せば必ず売れる状態でした。

 しかし何故かそうしませんでした。

 よく「当時は生産能力が低くて」なんて言い訳を聞くことがありますが、そんなことはありません。

 なぜならば、当時生産されていた商品は、157系、80系等々、当時も、そして現在に至っても必ずしも需要が高いものではありませんでしたので。

 そんなものよりも、遥かに市場が求めていたものが沢山あったのにです。

 それも新規開発でもなんでもなく、単に再生産するだけの話ですよ。

 新たな投資など必要ないんです。

 あの時代、本当に市場が求めていた商品を、なぜKATOが供給しなかったのか。

 あの騒乱から20年以上が経過しましたが、この問いに対する回答は未だ得られずじまいです。

 

 と同時に、あくまで私の知る範囲ですが、近年、Nではあそこまでの狂乱はなくなったように思います。

 一つには、各メーカーの生産能力の向上や、人気車種の減少があるのでしょう。

 でも私には、趣味人口の減少が最大の改善策のような気がしなくもありません。

 反面、1/80 Jでは世界が遥かに狭いながらも、相変わらず相当な品薄があるようですね。

こちらの方はそれが完全に定型化してしまっているようです。

 そうそう、これはHOjも同じですね。

 先般発売されたC55 33なんか、発売日に通販在庫は皆無でしたから。

 40万円の機関車がですよ!!

 いやはやすごいものですね。

 

 あの頃、Webでは、品薄の原因は買い占め屋とか、転売ヤーのせいという情報が流れてしました。

 実際、私も中古屋でそれらしき人を見かけたことがありますが、本当にそういう輩だけのせいだけだったのかは、わかりません。

 もっともあんな事態がなければ、マイクロが参戦することもなかったでしょうね。

 でも、そんなうまい話がたくさんあるはずもなく、またマイクロ式ビジネスモデルには大いに限界があり、今日ではかつての勢いはなくなったように感じます。

 

 しかし、喉元すぎればなんとやらと言うのが、この世界ではよくあります。

 でも、それは決して利口な方法ではないでしょう。

 何れにしてもあのときの教訓は、活かすべきと個人的には思います。

 それは、ブームに乗せられない、周囲に惑わされない、本当に欲しいかどうか再度確認する。

 時には待つことも必要という、現代にも通じることだったような気がします。

 現に、あの頃の「レア」アイテムの大半は、今日ではほぼ無価値になったわけですし。

 

 反面、大変残念ですが、趣味の世界には、自動車、パソコンや耐久消費財のような健全な競争は殆ど期待できません。(特に版権絡みは。)

 現にガンプラやポケモンカードでは、模型鉄道を遥かに上回る異常事態が日常化しています。

 確かにこのような状態は、値崩れを防止でき、在庫も不要であり、メーカーにとっては良いことずくめ。

 いくら趣味者の側が被害を被っても、関係ないということなのでしょう。

 実際、メーカー側からは、アドバルーン以上の効果的な対策は何ら実施されません。

 

 そうであれば、メーカーに過度に期待しても無理です。

 やはり買う側が惑わされないことが、一番大切なこと。

 実際、人が持っていると欲しくなるのが常ですし、話題の製品を手にしたいのは、私も全く同じです。

 でも、自らが市場や趣味界を破壊するようなことはしたくないし、してはいけないと思います。

 どうしても一点に集中してしまいがちですが、ときには模型鉄道から距離を取れるような選択肢を複数持ち、今、これがだめでも他があるとか、あるいは新品が買えないなら自分で工夫するとか、メーカーや販売店に振り回さないような防衛策を持っていないと、またあのような狂乱が繰り返されてしまうように思います。

 

 そしてそんな異常事態は、結局のところ趣味界の発展には寄与せず、先鋭的なマニアだけが残り、普通に楽しもうとする人が去っていくように思います。

 正しく模型鉄道がそうだったように。

 今日の衰退の第一原因は、少子化であることは間違いないと思いますが、そのせいだけにできるとは私には思えません。

  大変残念ながら、常に受け身である趣味者の側にできることはほとんどありません。

 それでも、転売ヤーからは絶対に買わない、プレミア品は断固拒否するというのは、本質的な解決策にはならない小さなこととは言え、必要なことと私は思います。

 

 それがあの時代に対する趣味者側の唯一の教訓かもしれません。

 

2024.2.25 記

 

 

↓当方HPです。こちらもどうかよろしくお願いします。

db103rheingold.web.fc2.com

 

↓当方も参加しております。実物、模型などいろいろな鉄道ブログがあります。

是非ご覧になってください。

人気の投稿