鉄道模型 1997年 終わりの始まり……
今回の記事は従来にも増して、偏った視点になっています。
よって不快を感じられることがあるかと思います。
いつも通りですが、私の意見が正しいとも、人様に強制するつもりも全くありません。
あくまでDB103の感じたままを記しました。
よって、そういうのでも許容できるよって方は、この先お進みください。
異論を受け入れるのが苦手という方は、ブラウザバックをお勧めいたします。
また、あくまで当時の思い出なので、本件について論議するつもりはありません。
どうかお許しください。
今から27年前の1997年、日本の鉄道趣味界において記憶すべき一大イベントがありました。
はい、皆様よくご存知の通り、碓氷峠 横川~軽井沢の廃線です。
私が記憶している限り、1970年代のSL終焉には及ばないものの、日本最大級の鉄道イベントだったのではないでしょうか?
ただし、この世界では常に異端であった私は、地元民の一人として冷めた目で見ておりました。
今日、種々問題になっているような一部の無軌道ぶりが、既に27年前にも散見されておりましたので。
で、今回はその話ではなく、あの騒ぎが引き起こした模型鉄道界のネガティブな事件を語りたいと思いました。
碓氷峠騒ぎの一面を象徴していたのが、模型鉄道界の混乱です。
具体的には、碓氷峠関連アイテムの超品薄、プレミア化でした。
中でも一番ひどかったのがKATOです。
関連アイテムの中でも超人気アイテムは189系さようならあさまでした。
この人気たるやすごいもので、今でもよく覚えていますが、秋葉原の中古店で11連55,000円、9連50,000円という信じがたい価格で売られておりました。
この原因は全てKATOが供給責任を果たさなかったことにあります。
特別企画品だかなんだか知りませんが、再生産しませんでした。
さらに基本と増結を同じ数だけ生産するという愚策のため、増結1万円以上という27年前としては空前の価格になっておりました。
グレードアップ車は11連が基本ですので、必然的に増結が不足しますよね。
こんなわかりきったことを実行しなかったのです。
当時望まれていたアイテムを生産しなかったKATOですが、その割には80系、157系などという、当時はもちろん、現在においてもあまりデマンドのない商品を発売しておりました。
ですので、同社の生産能力が低いというのは正しくないと思います。
正直な話、こんな物を作るのは、もっとずっと後でも良かったはずであり、当時、全力を上げて189系あさまを作るべきであったと私は信じています。
実際、売れたんですから。
一方のTOMIXはKATOのようにブームを叩き潰すようなことはしませんでしたが、供給力の上限からでしょうか、常に品薄な状態にはありました。
ただし、どうしようもない状態ではなく、待っていれば入手のチャンスがあっただけ、KATOよりは遥かにましな対応だっと思います。
とは言うものの、TOMIXが189系を出しても良かったのに何故か出さなかったという疑念は残ります。
過剰なほどに善意に捉えれば、両社共にあんなブームはすぐに終わると思ったのかもしれませんが、これは全くの間違いです。
当方の記憶でも廃線から5年はブームが継続していましたので。
いずれにしてもアニメキャラやメカのように供給元が極限される版権商品ではないにも拘わらず、こんな馬鹿げた事態が現出したのです。
更にひどかったのは趣味誌です。
どの雑誌もこんな異常極まる消費者被害を断じませんでした。
いや問題視すらしなかった。
要は、広告主に反することなど出来やしない、メディアとしての責任を放棄していたわけです。
きっと模型誌はメディアではないのでしょうね。
と言うことで、ほんとおかしな時代でした。
流石にもうあんなことにはならないと思いますが、「歴史は繰り返す」とも言います。
あのような狂乱から身を守る方法は唯一。
ブームには乗せられないこと。
だって、あの頃55,000円もした189系あさまなんか、それから27年たった今、1万円もしないで手に入りますよ。
現に、現在のグレードで発売されたKATOやTOMIXの新189系あさまは、当時のようなことにはなっていません。
ですので、ともかく忘れないこと。惑わされないこと。
渦中から離れて大騒ぎを眺めていた無力な一人として、私は折りに触れこの教訓を伝えて行きたいと思います。
2024/2/21 記
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