鉄道模型 Nm or TTm って何で流行らなかったんだろう??
たしかに当時、Nmは技術的に困難というか、まず無理だったでしょう。
今でも相当難しいと思います。
実際、レールが波打ったらすぐに脱線しそうですし。
言い換えれば、日本の鉄道ってすごいですよね。
狭軌の上に、厳しい軸重制限があるのに、欧米以上の正確なダイヤと速度を誇るんですから。
あんまり言われませんが、線路の精度が高いんでしょうね。
でも、小さいスケールの模型では、軌間が狭いと集電でもギアの設置でも圧倒的に不利でしょうね。
9mmと比べると、6.5mmは牽引力も落ちてしまうように、素人ながら思います。
今、Nmに挑戦されている方が何人もいらっしゃいますけど、一言、すごいですよね。
あんな高度な技術を駆使して、実際に走らせちゃうんですから。
実際、すごくかっこいいです!!
でも、TTmならば話は別でしょう。
実際、KATOの歴史に残る名品 初代 C11は約1/135でした。
同社のD51やC57も明らかなオーバースケール(1/140)ですし、それからずっと後に発売されたマイクロの蒸気機関車、特にC12やC56がモーターの大きさから、実物とかけ離れたスタイルになってしまったわけですから。
最初からTTmにしておけば、こんな事態は避けられたと思うんですよね。
今でもそうですが、Nの最大の問題の一つはモーターの大きさです。
1/120であれば、Nに比べてその点は絶対に有利ですよね。
日本の鉄道模型産業は、食べるものにも苦労した戦後の復興時代、対米輸出用の真鍮製品により発展を遂げました。
この時代、アメリカ型HOの部品を転用する形で誕生したのがJなんです。
この苦しかった当時、鉄道模型はまさに高嶺の花であり、日本独自の製品を開発することなど出来ない相談でした。
ですので、1/80 16.5mmという、不思議な規格を採用せざるを得なかったんですね。
客貨車の車輪などそのまま使えたようですし、以前私が保有していたトビーの最初期のC50は、動輪がアメリカ型の転用でした。
カウンターウエイトが直線でなく、曲線だったんですよ。
話を戻しまして、Nが誕生したのは1960年代の前半だったと思います。
この頃になると、高度成長期になり、日本も相当豊かになりました。
またJと違って、Nは既存の何かを転用することは出来なかったんです。
ですから、全てを一から作る必要がありました。
だから、1/150に固執する必要もなく、1/120でも変わらなかったと思うんですよ。
そうすれば、軌間スケールの鉄道模型を楽しめたと思うんですけどね。
一説によると関水の加藤氏がTMSの山崎喜陽氏に勧められて1/150にしたらしいですね。
単なる俗説で確証はありませんけど。
でも、なんでTTmを勧めてくれなかったんでしょうね。
山崎喜陽氏はJを広めた張本人ですし、スケールモデルが嫌いだったんでしょうか?
確かに創世記においてNの日本製品は数が少なく、どうしても欧米製品を使わざるを得なかったので、1/150が採用されたという話もあります。
でも、そんなの僅か5年間もなかったですね。
もっともTTmは、1/150と比べると大きいので、1/150ほどJとの差別化が測れないので、ここまでヒットしたかはわかりません。
1/120では線路の敷設面積も大きくなってしまいますしね。
でもトレーンも1/150よりはずっと大きいですし。
1/120だったら全然だめだった……、のかどうかは、私にはわかりません。
あくまで私個人の考えですけど、もし相手がTTmならば、プラ製の日本形HO12mmを広げるべきだったような気がしますけどね。
2023/12/11 記