ドイツ連邦鉄道 DB 無蓋車 Om 12 710 339 (Fleischmann 5219 K)
今回はドイツ連邦鉄道 DB の無蓋車 DB Om 12を紹介します。
DB Om 12は、ドイツ邦有鉄道協会 Deutschen Staatsbahnwagenverband (DWV) の共通設計によるVerbandsbauart (協会設計) 貨車であり、 標準図 (Musterblatt) A 10による20t積みのコークス貨車です。
<A 10主要諸元>
バッファ間距離:9.8m (ブレーキ室付)/9.1m (ブレーキ室なし)、積載荷重:20t、耐荷重:21t、空車重量:11.0t (ブレーキ室付)/10.6t (ブレーキ室なし)、側壁高さ:1.5m、積載容量:33m3、ホイールベース:4.5m
A 10は、1909年に開発され、1913年から1928年までの間、なんと20万両以上!が生産されました。
欧州で最も多く生産された貨車です。
A 10が誕生した1913年には、ドイツの鉄道は各王国が保有する邦有鉄道でしたが、1920年にドイツ国鉄公社 DRGとして統一されます。
DRGは貨車の記号として、型式及び分類都市名 (Gattungbezirk)、及び車番を付与しました。
しかし、DRG貨車の番号は5桁の00 000~99 999ですので、大量に製造されたA 10は一つの分類名では入り切らず、Om Breslau、Om Essenとなりました。
なお、A 10は戦災や、戦時賠償で他のヨーロッパ諸国に譲渡されたので、DRGに継承された数は約14万両という資料がありました。
第二次世界大戦後、ドイツ連邦鉄道DBへ引き継がれたA 10 (DRG Om Breslau、Essen)はOm 12となりました。
何両が引き継がれたのかはわかりませんでしたが、ある資料では1953年に約23,000輌存在していたことがわかりました。
これは戦後、ドイツ及び外国の工場で26,000両もの大量生産が行われたOmm Duisburg (Omm 37)に次ぐ第二位です。
Om 12はその後急激に数を減らし、1968年頃に全廃されたようです。
ただしG 10同様、それで終わりではありませんでした。
Om 12は、1948年から、Om 21 (DRG Om Königsberg)に改造された他、Om 12及びOm 21を解体して、部品を転用することによりOm 31が1,500輌作られています。
さらに1954年から56年にかけて、分解されたOm 12とOm 21の部品を使用して、Omm 54(E 039)が約10,000 輌製造されました。
鋼製のUIC車体を持つOmm 54は、客車のUmbauwagenと同様、元車の面影は全くありません。
これらは1981年からKk-GブレーキをKE-GPブレーキに交換することにより、100km/h対応となり、Es 049に改番されています。
それで模型の方ですが、A-10はMärklinとFleischmannから発売されていました。
Märklinですが、ブレーキハンドルありとなしが、発売時期が全く異なる別の製品で出ています。
例のページの評価では、
ブレーキハンドルなし:足回り、軸受が荒い
ブレーキハンドルあり:制動手プラットフォームの形状違い
とありました。
一方、Fleischmannは高評価ですが、一部、Om 04と構造を取り違えているとありました。
ところで、両社ともOm 12をOm 04 (Normalie Musterblatt IId 2III、DRG Ludwigshafen) としても発売しておりますが、残念ながら実車における、Om 12とOm 04の差異は全くわかりませんでした。
手持ちの模型を見てもよくわかりません。
このあたり詳しい方のご指導をお願いします。
2011/12/29 入線
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