ドイツ国鉄 DRG 急行用蒸気機関車 BR 01.10 1001号機 (ROCO 63205)

 今回は戦前ドイツの旅客用蒸気機関車の頂点とも言える、BR 01.10について紹介します。

 DRG BR 01.10は高性能な流線形・三気筒の高性能蒸気機関車です。

<BR 01.10原型機 主要諸元>

 型式:2'C1' h3、バッファ間距離:24.13m、軸配置:2C1、運転重量:114.3t、炭水車込み運転重量:196.7t、軸重:20t、過熱式三気筒、出力:1,559kW、ボイラー圧力:16bar、動輪径:2,000mm、最高速度150km/h

 今まで何度かご紹介してまいりましたが、BR 01.10は、ドイツ国鉄DRGがD(急行列車)及びFD(遠距離急行列車)用に、最高速度150km/h、500t列車牽引時平坦線で120klm/h、勾配5パーミル350t牽引時100km/hを達成するために開発した高速蒸気機関車です。

 この目標を達成するために、流線型・三気筒が採用されました。

 400両の導入が決まり、実際に1939年、204両が発注されたものの、同年9月1日第二次世界大戦が勃発し、戦時輸送用貨物蒸気機関車の生産が急がれることになりました。

 本機は優秀な成績を収めたようですが、生産数は限定されたものとなってしまいました。

 最終的に1939年から1940年までの間、55両の生産にとどまりました。

 車番は1001、1052-1105、全てSchwarzkopf社製です。

 この数値はBR 01の241両(02からの改造機含む)、BR 03の289両よりもずっと少ないものでした。

 戦争がなければ間違いなく主力機になったでしょうね。

 戦時中に足回りの流線型カバーが検車や整備の都合のため取り外されたのは、BR 03.10や我が国のC55や52系と同じです。

 BR 01.10は、55両全車が西側で戦争を生き残ったものの、惨めな状態で、おまけにこの時代の蒸気機関車共通の問題であるボイラー鋼St 47Kの早期劣化があり、1945年6月20日、走行距離が50万Km未満にも関わらず、全車が休車となってしまいました。

 その後、輸送力逼迫もあり、状態の良いものは、簡単な整備を受け、カバーを取り外したみすぼらしい姿で使用されるようになりましたが、ボイラーの劣化は深刻で、最終的には廃車になった一両を除き、西ドイツ国鉄の手により、新造ボイラーを装備することになり、生まれ変わりました。

 この生まれ変わったBR 01.10 DB Umbauは高性能を発揮しました。

 更には重油炊きに改造された機種も多く、その高性能を生かして、ドイツ蒸気機関車の終焉まで大活躍しました。

 現在でも、動態機を含む数両が保存されております。

 以上、Wikipedia独語版 DR Baureihe 01.10 より、引用、参照いたしました。

 この中で特筆すべきは、流線型の1102号機です。

 上記の通り、BR 01.10は、廃車になった一両を除き、全機ボイラー更新を始めとする大改造を施されました。

 従いまして、1102号機は流線型のまま残ったものではなく、戦後、DBによる大改修を受けたBR 012 102-0です。

 本機は、1977年の引退後、べブラ市で静態保存されておりましたが、1995年、新たに取得したK&K Eisenbahn-、Spe- und Salonwagen-Betriebsgesellschaft Berlin / Vienna社により、動態に戻す大修理が行われることになりました。

 その際、DBスタイルではなく、誕生当時の流線型に復すべく、失われていた流線型カバーを新たに新造したものです。

 したがって、重油炊きとなっておりますし、ボイラーが新造時に比べ太くなっておりますので、流線型カバーの形状はオリジナルとは異なるそうですが、大変上手に復元されていると思います。

 本機は試運転で152km/hを発揮し、特別列車を牽引して大活躍しましたが、2003年11月の事故、そして2004年10月のトラブルにより重大な損傷を受け、静態となってしまいました。

 その後、ハイルブロンの南ドイツ鉄道博物館に貸与されましたが、6年間の屋外展示により流線型カバーがたいへん傷んでしまい、2013年にチェコのČeské Velenice へ移送されました。

 保存先進国と言われるドイツでも、このような大型機の保存には困難が伴うようで、同じような話は多いですね。

 以上、Eisenbahn-Museumsfahrzeuge より引用させていただきました。

 なお、BR 01とBR 01.10は同じBR 01を名乗りますが、BR 01は2気筒、1926年製造初年であるのに対し、BR 01.10は三気筒、1939年製造初年の全くの別機であり、形状も全く違います。

 日本では相変わらずこの二種類を混同している例が散見されますので、ご注意下さい。

 さて模型の方ですが、Modellbau-Wiki によりますと、BR 01.10については、DB Umbau車はドイツ蒸機の終焉まで活躍したこともあり、HOでは1984年のMärklinを皮切りに、Liliput、ROCOから発売されておりますが、流線型の原型車については数が少なく、Nでは1981年製のFleischmann製品があったものの、HOでは、2000年にこちらで紹介するROCO 製品、2001年にLiliput製品が発売されただけです。 

 またUmbau機が頻繁に再生産されているのに対し、原型機はあまり作られていないようです。

 そのせいか、ROCO、Liliputのいずれも中古はあまり見かけないですね。

 それでROCO製品ですが、長大ながらのっぺりとした外観をよく再現しています。

 流線型カバーに隠れて、ディテールはあまりありません。

 不気味とも言える形状をよく再現していると思います。

 2000年の製品ですので、車輪はまだプラ輪芯です。

 幸いなことにカバーに隠れてほとんど見えないので、それほど気にはなりませんね。

 なお、ロッド類はほとんど省略されています。

 ROCOのBR 01.10は足回りが全面的に隠れるスカートを装備していますが、BR 03.10のように、もう少し露出するタイプも存在したようですね。

 こちらはトップナンバーの1001号機です。

 BR 01.10は1001の次がずっと欠番で次番は1052なのですね。

 この号機はナンバーの周囲に銀線がありますが、これは他にはあまりない特徴です。(実車の写真もこうなっています)

 先輪の切り欠きはカーブ通過には必須ですね。

 メーカーズプレートが単調な外見のアクセントになっていますね。

 プラ輪芯ですが、以前のものに比べると感じはいいでしょ? 

 のっぺりとしているだけに汽笛の挽き物が良いアクセントですね。

 上記の通り、このスカートは検車に不便なので、早晩外される運命にあったようです。

 ただし、Wikipedia DR Baureihe 01.10によると、この流線型カバーにより、「140 km / hの速度で牽引力を48%増加させることがでた。」とあり、従来日本で言われてきた「当時の」鉄道車両の速度では「流線型はあまり意味がない」というのは、本機に関しては違うようですね。

 密閉型の流線型キャブ。

 当時としては画期的なことだったのでしょうね。

 キャブの下部もカバーで覆われています。

 はしごの形状も空気抵抗を考慮しているようですね。

 テンダーの重量が空欄なのはなぜでしょうか?

 欧州なので、鷲のマークの鉤十字はご法度になるわけですね。

 こうしてみるとプラ車輪だとわかります。

 赤く塗ってやるだけで随分良くなりそうですね。 

 製品化時期がちょうど過渡期であり、BR 011と012がテンダー/機関車両駆動なのに対し、こちらはテンダー駆動です。

 動きは至って静かでスムーズです。

 ROCOの DRG BR 01.10原形車は2013年に再生産になっておりますので、こちらはUmbau機と同様、金属車輪になっている可能性がありますが、私は見たことがないのでわかりません。

 この姿での活躍はほんの短い期間でしたが、模型の世界ではSchürzenwagenを牽かせて、いつまでも活躍させたいものです。

2018/10/3 入線

2019/2/6 記

2019/12/2 再録

2020/10/11 写真全面更新、文章修正、Blogger用に再構成


 

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