ドイツ連邦鉄道 DB 近郊旅客用電気機関車 BR 141 237-8号機 (Fleischmann 4326)

  今回は、地味ながらドイツの近郊旅客輸送の担い手として欠かせない存在だった軽旅客用電気機関車 BR E 41/141の紹介をしたいと思います。

<BR 141 主要諸元>

 バッファ間距離:15.62m、運転重量:72.5t、軸配置:Bo’Bo’、軸重:16.6t、出力:2,400kW、最高速度:120km/h

 

 1950年、西ドイツ国鉄 DBの技術委員会は、これからの電気機関車として、BR E 94を基礎とした6軸機、及びE 44のような客貨両用の汎用機を計画しました。

 この目的に沿ってE 46が計画されましたが、急行用に最高速度を上げることになり、1952年、汎用機関車の試作型BR E 10.0が5輌作られました。

 この5輌は製作メーカーや、構造、スタイルが異なるものでしたが、広範な試験の結果、一つの機種で全ての目的を達成するのは、得策ではないとの結論を得、その結果、急行旅客用 E 10、汎用貨物用 E 40、近郊旅客用 E 41、重貨物用 E 50の4種類の制式電気機関車 (Einheitselektrolokomotive) が作られることになりました。

 これらはC-C軸配置のE 50を除き、全てB-B軸配置で、4種類とも大変良く似たスタイルをしておりますが、フランス機のような共通設計ではないようです。

 さてE 41/141ですが、改訂された仕様書では、ローカル線の旅客および軽貨物の機関車の役割を期待されました。

 従って、開発目標の1つは軸重15トンを超えないことであり、他の制式機と比較して、低コストが要求されため、電気部品が簡略化されました。

 その結果、上記制式機の中では、もっとも重量が軽く、また低出力の小型機になっています。

 試作一号機、E 41 001は、1956年6月27日に納入されましたが、特に大きな問題もなく、その後1956年から1971年の間に、合計451台のE 41機関車が調達されました。

 最後の16輌は、納品時にすでに新しい型式 BR 141となりました。

 この生産台数は DB電機の第二位であり、急行用として有名なBR E 10 (各型合計416輌) よりも多いです。

 上記のように閑散線区や支線用として作られたBR E 41/141は、出力、軸重共に小さいことから、ローカル客車専用の機関車でした。

 写真を見る限りでは、当初期待された軽貨物用としてはほとんど使用されなかったようです。

 またその頃導入が本格化したWendezug(プッシュプルトレイン)での使用のために引き通し線が設置されておりました。

 そのためほぼ、n-Wagen (Silberringe) との組み合わせで使われたようで、写真を見ても他との組み合わせは殆ど見られませんでした。

 同様な用途のx-Wagenとの運用は、4両を除き、電磁ブレーキを持たないこともあり、あまり成功しなかったのだそうです。

 例外的に1950年代、一部が急行用として使われましたが、急行列車の120→140km/hへのスピードアップに伴い、運用を外れました。

 このため初期の車両にはBR E 10と同じ、紺色 (Stahlblau) で塗られたものもありましたが、やがて、緑色に変更されました。

 その後、DBの塗装変更に伴い、タルキスベージュ、Orient Rotに変更された仲間も居ます。

 変わったところではS-Bahn用として明るい灰色にオレンジ帯、ルール地方で使われたタルキスベージュの変則塗り分けもありました。

 ただ、いかにもDBらしく、廃車まで緑塗装だった仲間も居ます。

 BR 141は全てが近郊旅客輸送に使われていましたが、DBは性能に不満を感じていたのか、1980年代の後半には、代替を検討します。

 実際、最初の廃車は1987年であり、他の制式機よりもずっと早いものでした。

 その後、DBAGの発足があり、代替機となるDR BR 243 (143)の参入により、交代が早まった面もありますが、その後も活躍を続けました。

 最終的にはBR 146やBR 425/426系電車と交代し、2006年12月に運用離脱し、全機が引退しました。

  尚、現在でも動態を含む複数が保存されております。

 以上、DB Baureihe E 41 より、引用、参照いたしました。

 私は電装系の知識が全く疎いのですが、Wikipediaにはもう少し情報がありますので、興味のある方は参照してみて下さい。

 さて、模型勃興期に誕生した標準機だけあって、BR E 41/141は古くから模型化されてきました。

 Modellbau-Wiki によりますと、HOではMärklinが最も古く、1960年に製品化されたようです。

 この製品はオークションの常連なので、見たことがある方も多いのではないでしょうか?

 流石に60年も前の製品ですので、全体の感じは悪くないものの、屋上機器や配線が全て一体成型という、いかにも大時代的な製品です。

 ただし、ドイツの常で製品寿命は大変長いものであり、Modellbau-Wikiの記述では、最後に作られたのは2003年でした。

 ところで、直流での製品化はなぜか非常に遅れ、1988年のFleischmann、1990年のROCOまで全くありませんでした。

 FLMは後期生産の張上屋根、分割前照灯仕様、ROCOは原型の001号機です。

 両社の完成度が高かったためか、後続の製品は随分間が空き、下記の製品が発売されています。

 2008年:Märklin/Trix完全新規製品

 2014年:Fleischmann 2代目製品

 2014年:Piko

 それでこちらで紹介するのは、1988年にFLMが最初に発売した緑塗装機 (4326) です。

 さすがに80年代の終わりの製品だけあって、素晴らしい出来だと思います。

 ディテールは至って標準的ではありますが、彫りの深い台車や、シンプルながらも感じのいい屋上、そして私個人の感想としては、形状把握が素晴らしいと思うんです。

 動力はFLMの標準的なもの。

 高速機ではないので、動きの方も至って普通です。

 最近のROCOなどに比べるとやや重い感じですが、用途からこれはこれでいいような気もします。

 141は結果的にROCOと競作になりましたが、幸いなことにROCOは登場当時の原型車 (雨樋あり、大目、テーライトなし) というFLMとは異なる仕様なので、大いに助かります。

 またこちらも出来の良いモデルだと思いますので、別の機会に紹介します。 

<各部ディテール>

 シンプルながら、実車の感じをよく捉えているように見える前面。

 上記の通り、台車は一体成型ですが、とても実感的です。

 運転室手すりが一体なのは今の目で見ると欠点でしょうね。

 いつもどおり美しいレタリング。

 フィルターもとても整っています。

 細部標記にも手抜かりはありません。

 なんとなく台車が下がっていますが、これについては別に記したいと思います。

 台車のディテールは優れますね。

 ただし見ての通り、砂まき管は折れています。脱線すると折れてしまうんです。

 屋上のモニターには透明部品が使われています。

 配線はややごついかもしれませんが、直線が出ていますので、見た感じ気持ちがいいです。

 その他についても直線が曲がっているということが少ないのが、FLMの真骨頂です。

 パンタは今のと比べるとごついですが、とても安定しているので、私はこれでいいです。

 また車輪ですが、4326は銀車輪です。

 後の製品は黒染めになり、更に質感が増しました。

 顔の写真を撮ってみました。

 似ているのではないでしょうか? 

 皆様はいかがお感じになられますか?

 一体成型の手すりも塗り分けられているのがわかりますね。 

 ところでBR 141は輌数が多いのですが、用途は局限されますね。

 牽かせる車両は、Silverringe、ルール地方のSバーン客車、26.4mの中扉3扉車くらいでしょうか? 

 ところで、この製品は1992年のスワップミートで、ある方からお譲りいただきました。

 当時の日本での販売価格の1/2.5くらいの値段でした。

 そして、翌年もこの方からBR 141のタルキスベージュをお譲りいただき、知己を得ることができました。

 これがきっかけとなって、趣味界で著名な諸先輩と知り合うことができました。 

 そして、欧州型の趣向が大幅に花開くことになりました。

 個人輸入など、この出会いがなくしてはあり得なかったと思います。

 大変残念ながら諸般の事情で、こちらのクラブは半永久的に休部させていただいておりますが、ほんと、私にとっては大切な方々です。

1992/12/13 入線

2012/10/27 記

2019/12/4 再録

2020/10/21 写真全面更新、文章大幅に追記の上、Blogger用に再構成

2023/7/21 写真追加・更新

 


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